DNA鑑定~科学と事実
asahi-comより
「大阪府警は15日、無免許で人身事故を起こして逃走したとして、~自動車運転過失傷害、道交法違反(無免許、ひき逃げ)容疑で逮捕したと発表した。逮捕のきっかけは、○○容疑者が残した「耳あか」のDNA鑑定だった。」
「同署員が事情を聴くために○○容疑者宅に行くと、○○容疑者は耳かきで耳をほじりながら容疑を否認。耳かきを道路に捨ててタクシーで外出したという。同署員が地面に落ちた耳かきに付着した耳の皮膚片を採取し、DNA鑑定したところ、乗り捨てられていた車の運転席のシートベルトに付着した血痕と型が一致。」
現在のDNA鑑定は2兆分の1以下の誤差で区別がつくと言われています。しかし、裏を返せば、2兆分の1程度の割合で、誤判断があり得るということになります。つまり、DNA鑑定で一致するということは、容疑者が犯人である確率は極めて高いけれども、100%そうであるとは言い切れないということです。
足利事件で再審が始まりますが、無罪が出ることはほぼ間違いなく、それは当時のDNA鑑定が1000分の1程度の誤差の生じる精度であったのですが、再度、精度の高い方法によって鑑定し直したところ、不一致が確認されたからだと報じられています。逮捕時から17年以上に及ぶ身柄拘束を受けた菅家さんは、人生を無茶苦茶にされ、著しい苦痛を味わってきたのであり、本当に気の毒に思います。
足利事件で、これから検証していかねばならないことはたくさんあると思います。まずは、当時の科捜研で行われた鑑定というのが、バイアスなく行われたものなのか否か。菅家さんの心理鑑定もどうだったのか。自白の取られ方がどうだったのか。弁護側によって新鑑定が行われ、不一致という結果が出たにもかかわらず、上告を棄却した最高裁。再審請求を棄却した宇都宮地裁。
これらの経緯すべてが検証され、問題が白日の下にされなければなりません。システムが正常に機能していれば、菅家さんは逮捕されなかったかもしれないし、逮捕されたとしても、早期に身柄の解放を得ることができたかもしれません。司法が反省すべき点は多々あるでしょう。
しかし、2兆分の1と1000分の1。その差は本質的にはあまり違いがあるようには思えません。菅家さんは、たまたま、この差によって、違いが判明したことにより、再審が開始されるに至ったのですが、本当はDNAが不一致であっても、新技術でも差が検出されないこともあり得ます。
裁判で認定される事実というのは、神様の目から見た事実とは異なります。神様の見た事実にできるだけ近づこうと努力はすべきですが、それでも、間違いは混入します。
1000分の1の誤差、ということは99.9%は間違いがないということ。刑事事件では、無罪の推定、疑わしきは被告人の利益に、という原則がありますが、合理的な疑いを入れない程度に立証されれば、有罪とされます。この99.9%というのは、一般には合理的な疑いを入れない程度ということになるでしょう。
100%の立証というのはあり得ないことが留意されねばなりません。どれだけ科学的に精度を高めても、100%にはならないのです。
えん罪は悲惨なものであり、2兆人に1人であっても、えん罪を発生させないという決意が必要ですが、しかし、あまりに高度な立証を求めるのであれば、本来、有罪であった犯人を逃がすことになり、これもまた社会正義に反します。この二つの要請は矛盾、衝突するものであり、司法の悩みというのはいつまでも続くものだと思います。
科学の進歩により、誤差は少なくはなっていくでしょうが、本質的な問題の根本的な解決は無理だと思います。
私は、このような問題があるが故に、取り返しのつかない結果を招く死刑制度は廃止されるべきだと考えています。
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